「日本一の下足番」になったら今じゃベテラン下足番でしかなれないよ

「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。」
小林一三(阪急・東宝グループ創業者)

ふとtwitterを見ていたら、誰かが「テスターばっかりの仕事でどうにか今の仕事を抜け出せないかなー」という内容が目に入りました。
自分が初めて入った会社もそんな感じで、昔のことを思い出してしまいました。

そんで過去を思い出したときに上掲、小林一三氏の言葉も思い出してしまいました。

この言葉好きだった

この言葉よく聞きますね。私も好きでした。
小さな仕事を丁寧に成し遂げ、その仕事ぶりを見ている人から、よし!もう少し責任を与えて面白い仕事をさせてみよう。
そしてゆくゆくはいつの間にか社長に.....なんて立志伝を想像させられます。

歴史についてはまったくもって疎いんですが、豊臣秀吉も農民から太閤秀吉と言われるまでなりました。

なのでこつこつやっていたらいつの間にか自分も出世するんじゃないか!?と期待をもって仕事に励むことができました。

でも今の世の中じゃ通じるか?

じゃあそれを今の世の中でも通用するのか?っと考えてしまいます。

私の20代の経験を思い出しますと、2年近くガラケーのテスターをやってました。
当時はリーマンショックでどこも開発案件が絞られていて、自分なんか技術力もないですから会社辞めたって転職できないだろうなーなんて初めからあきらめてました。

同僚なんかほぼパチスロやっててタバコも吸う人が多かったので、人間関係的に辟易していたのがよく覚えています。

では会社の環境、経済環境が良くなかったとはいえ、じゃあそれらの環境が良くてそのまま自分がこつこつテスターの仕事をしていたらだんだんと開発に行けたのか?と言われたら、それはNOだったと思います。

会社としてもWeb系の案件もありませんし、どうしても若手は雑務的な案件につかされてしまいます。
数年先の先輩を見ていても面白そうな仕事をやってる人はいません。

ここじゃーコツコツやっても通じないなと思い転職してしまいました。

コツコツやっても通じない

会社の力関係とか技術力とかあるとは思うんですが、なんでコツコツやっても通じないかと考えると、やっぱり各分野の専門知識が深くなっていったんじゃないのかなと思います。

とくにITの進化はとても大きく影響範囲がでかい。

小林一三氏や豊臣秀吉の時代なんて、仕事内容はそんなに難しくなかったと思うんですよ。時間もかけられた。
各分野の難易度が浅ければどの分野にも移りやすく、ジョブローテーションもしやすくてゼネラリストを育てやすい。
だからこそ範囲を広く仕事をこなしたゼネラリストは業務全般わかってるので経営層に行きやすいし、細かい仕事もわかってるので経営層にいっても下からの話も通じやすい。

当然今はそうもいきません。
コツコツ作業してても、別の分野に要する業務知識は全く違うのでスライドなんかできません。

今じゃなにも考えずに仕事していたら、せいぜいベテランのガラケーテスターになるだけだったでしょう。
経営側としては低コストでもくもくとやってくれてありがたいでしょうね。

やっぱり抵抗するには勉強だ

じゃそこを脱するにはどうすればいいのか?と考えますが、やっぱり勉強ですよ、そしてそれをアピールすること。

当時の自分は、基本情報、ソフ開、Oracle Gold、などとりあえずとれるものは取っておきました。
難易度はまあまあだったし。それが次の会社の転職でも活きてきました。

今じゃ即戦力とアピールするのにWebアプリなどを作ってgithubにコミットして、herokuかなんかでアピールするのがいいでしょうね。

xxxがしたくて、今yyyyをやってる。
方向性をつけたアピールがすごく重要になってるなーと感じる最近です。

ダルビッシュ有選手のツイートがすごく重く感じました。


これほんと、なにも考えずもくもくとやってはいけないってことと共通するところがあると思います。

とにかく勉強+アピール。と方向性。

それしかない。

藤堂高虎 こんな人もいた

歴史はほんとに詳しくないんですが、藤堂高虎という人がいたそうです。

経歴を見てみると、なんでも8人の主君につかえたとか。
ついつい戦国時代や昔の人って一人の主人にずーっと使えているものだと思っていました。
app.k-server.info

引用は上掲のリンクからです。

この当時は、秀でた能力を持つ武士が、自分にふさわしい主君を選ぶために各地を渡り歩くのは、特に珍しいことではありませんでした。

高虎は学習能力の高い人物でもあり、身分が上昇してからは、学問に励んで知識や教養をも備えていくようになります。

高虎は出世の役に立つ技能だけでなく、茶の湯や文学、能楽なども嗜んでおり、文化的な教養も幅広く身につけています。
何かにつけ学んで身につける、というのが得意な人だったようで、それが万能になんでもやりこなせる人物として、高虎が成立していった要因になったのだと思われます。

詳しくは上掲のリンクを読んでほしいのですが、すごい人がいたもんですね。

転職が当たり前になった世の中では、この藤堂高虎という人の生き方に見習いたいものです。